身近な蝶にも謎がある(小長谷 達郎 著)- 奈良教育大学 出版会 ー
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きた「詰物仮説」の万能性に疑問を投げかけるものでした。もちろん「移動補助説」を証明したものではないので華々しい成果とはいえませんが、ある海外の研究者からは定説に挑戦した研究と評価されています。実は「移動補助説」は家畜昆虫であるカイコガBombyx moriの研究者によって支持されてきた仮説です。カイコガでは無核精子の異常がオスの不妊の原因になることが実験的に明らかになっていました10)。これは「詰物仮説」では説明できない結果です。カイコガが家畜として特殊化しているとはいえ、無核精子の機能が野生のチョウ類と全く異なるとも思えません。「移動補助説」と「詰物仮説」は互いに排他的な仮説ではないので、無核精子が複数の機能をもつ可能性も十分に考えられます。 最近、無核精子に関する研究が再び活発になってきました。カイコガでは無核精子と有核精子の分化に関わる遺伝子が同定されましたし11)、野生の鱗翅目昆虫を使った研究も増加しています。私の研究室でも、カイコガを使った詳細な実験と野生のチョウやガを使った比較研究の両方を進めるようになりました。無核精子の研究は新たな局面を迎えているといえるでしょう。 4.おわりに 私がジャコウアゲハを研究した時から5年以上の月日が経ちました。残念ながら今の研究室がある奈良教育大学の近くではあまりジャコウアゲハを見かけません。それでも大学内を少し歩くだけで数種のチョウを観察できます。読者の皆さんの家のまわりにもきっと多くのチョウが住んでいることでしょう。チョウの無核精子に限らず、私たちの身近に生息する生物にも何かしら未解明の部分があるのが普通です。よく観察すれば合理的な説明の知られていない生物の行動や奇妙な形はいくつも見つかりますし、産卵数や寿命といった基本的な性質が明らかな種も少数派にすぎません。適切な手法を用いれば、誰もが生物学的に新しいことを見つけられる状況にあるのです。 身近な生物にも謎がある――。そのように考えると、生き物を見る目が変わるのではないでしょうか。近年、生物学の分野でも、部活動や探求活動などで高校生が未知の課題に挑戦する機会が増えてきました。もちろん大学レベルの研究では、実験や観察、技術の習得、統計処理、先行研究の調査、問題の整理、論文執筆などに多大な労力を必要とします。高校生だけでこれらをこなすのはかなり難しいでしょう。それでも高校生の探求が新たな発見につながる可能性は決して小さくありません。世界を驚かす発見も十分に期待できると考えています。

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