異文化理解を研究する-日本のイスラームを例として-(小村 明子 著)- 奈良教育大学 出版会 ー
9/12

ム」という自分自身は薄らいでいき、ムスリムとしての自分に戻るための何らかの機会がない限り、このままムスリムとして自覚することはなくなるわけです。では、なぜイスラームから離れていくのでしょうか。そこには日本人の、イスラームという宗教の理解がかかわっているのではないでしょうか。 4.日本人のイスラーム理解 そこで最後に、現在研究テーマとして取り組んでいる日本人のイスラーム理解について説明しましょう。日本人のイスラーム理解は、明治時代にまで遡ることができます。明治維新の後に、日本はヨーロッパの文化を吸収して世界に負けない国にしようとしていました。ですので、まずはヨーロッパの文献を翻訳して、世界の様々な宗教文化を知ることから始まりました。イスラームも同様にどのような宗教なのか、まずはヨーロッパの文献を翻訳した中で記されていくようになりました。後に、日本人の宗教学者や知識人の著書にも、世界の宗教を説明する記述の中でイスラームが記されるようになっていきました。ただし、その記述をよくみると、イスラームの信仰の根底となる「六信五行」の説明が一定していませんでした。後に、ムスリムが信仰すべき対象である六信については、統一された記述になっていきます。ところが五行については、なかなか統一された記述になりません。複数の文献では、五行のうちの信仰告白が除外されて記されていました。もしくは信仰告白の説明がされていても、「行為」にはあたらないと説明する文献もあります。なぜなのでしょうか。それは、当時イスラームの記述を書いた著者たちにとって宗教は「修行が伴うものである」という発想があったからだといえるのです。信仰告白は宣誓です。したがって仏教のように、修行で己の精神を鍛える行為ではないとして捉えていたことが当時の文献から読み解くことができます。なお、他の4つの義務行為については「修行」とみなされてしっかりと説明されています。これが何を意味しているかといえば、仏教など他の宗教と比較しながら、イスラームの六信五行や宗教教義を理解していたということになります。 では、現在の日本人も同様に他の宗教と比較しながらイスラームを理解しているのでしょうか。宗教の知識がない限りは、イスラームと比較することはできません。概して、多くの日本人は「無宗教である」といいます。ところが、

元のページ  ../index.html#9

このブックを見る