学びに「わざ」あり −⾔葉のはたらきを通してみる感覚の共有− 奈良教育⼤学 美術教育講座 萱 のり⼦ 「わざ」の学びは⾔葉で共有できるか 私たちは、ふだんの⽣活の多くの場⾯で⾔葉を使ってコミュニケーションをはかっています。その時の⾔葉は、何か物事を説明しようとする場合もあれば、微妙なニュアンスや「こつ」を共有しようとするような場合もあります。スポーツや芸術の活動では、とりわけ後者のような⾔葉のはたらきが重要な意味をもちます。⼀⼈ひとり実際に感じ取っている感覚と、⾔葉という共通の道具との関係はいったいどのようになっているでしょうか。 この研究では、「わざ」の学びの場で発せられる⾔葉のはたらきに注⽬して、他者と感覚を共有していくことの可能性について考えました。なぜこんなことを考えようとしたかというと、2つ理由があります。1つは、私の関わっている書道という領域では、これまで実際に「書く」という経験を通して学ぶことが主になってきたこと、もう1つは、学校教育全体の⽬標として「⾔語活動の充実」が掲げられるようになってきたことです。歌を歌ったり、踊ったり、絵を描いたり、書を書いたり、そうした活動を⾼めていくときに、「本当に⼤事なことは⾔葉で伝えられるのか」という疑問が湧いてきます。しかし⼀⽅で、⾝振り⼿振りだけで⾔葉を介さず⼤事なことが伝えられるのかといえば、それも極端な話でしょう。 そこで、そもそも⾔葉はどのようなとき、どのようなはたらきをしているのか、私たちが体験して感じ取ったことはどのように伝え合うことが
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