できるのか、ということを実際の書の学びの場⾯に即して考えてみようと取り組みました。 「わざ⾔語」という概念 このようなテーマを考えていくにあたって、次に挙げる著書がその指針を⽰してくれています。『わざ⾔語−感覚の共有を通しての「学び」へ』において⽰されているテーマは、芸術教育にとって重要です。「わざ⾔語」は、「科学⾔語のようにある事柄を正確に記述、説明することを⽬的とするのではなく、相⼿に関連ある感覚や⾏動を⽣じさせたり、現に⾏われている活動の改善を促したりするときに⽤いられる⾔語」1⁾だと述べられています。たとえば、⺠族芸能を伝承していく場⾯で、扇を差し出す動作を捉えた指導者の表現―「天から舞い降りてくる雪を受けるように」というような⾔葉が例にあがります。今⽇の教育では、このような感覚的あるいは⽐喩をともなった表現よりも「腕と肘関節を連動させて柔らかく」などと説明する⽅が客観的な表現で理解しやすい指導と⾔えるかもしれません。しかし、先の⾔葉で伝えることができる内容と同じにはならないでしょう。説明的な⾔葉では伝わらないものの中に、伝承されるべき核⼼のある場合があります。こうしたことが「わざ⾔語」のテーマとなります。 推論することと「わざ」世界の全体 学ぶ⼈は「わざ⾔語」に触れることで、指導者の⾝体感覚を感じ取るためにはどのように⾝体を動かせば良いか、どのような間合い・⼒加減が必要か、などを推しはかろうとします。⽣⽥⽒が留意するのは、「この推論活動は、単に細分化された⼿続き的な動作を⾝につけるためだけになされるのではなく、むしろその細々とした動作が、⾃⾝が⾝を置く『わざ』世界全体においてどのような意味を持つのかという、『わざ』世界の全体的な意味連関の認識に学習者を導いていく」2⁾ことです。皆さんが何かを⼀⽣懸命に練習しているとき、何度やってもうまくいかない、だんだん慣れてくることはあっても今ひとつ納得がいかない、という場⾯があるでしょう。そんなあるとき、「あれっ?これか!?」と何か急に開けたよう
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