に感じ取れる瞬間を経験されたことはありませんか。これは細部が全体に通じた瞬間の体験だといえます。そういう体験を経た後は、それまで疑問に感じていたことが⼀気に解決したり、しっくりこなかった感覚がつながってきたりすることがあります。 この先⾏研究で扱われる「わざ⾔語」は、歌舞伎や和太⿎といった伝統芸能、陸上やスケートなどのスポーツ、看護という3領域にわたっています。それらが有効になる局⾯は、「役になりきる」ことに向かうとき、動作を習得する過程におけるコツ、わざが熟達してきた後に現れるフロー体験など多様です。「わざ⾔語」には、領域や局⾯に特有の⾔葉だけではなく、暗黙の了解で知り得ていること、⾝振り⼿振りや呼吸の間合いなど⾔語を⽤いないメッセージ(⾮⾔語的な⾔語)、なども含まれます。ただし、これらは、発話される状況や経緯を離れて考えていくことはできない点が重要です。いつでもどこでも誰にでも効く薬ではないわけです。考える必要があることは、「わざ⾔語」と「学び」の関係性ということになります。 表現のなかにとけこむ「わざ」 芸術教科を担当する指導者は、誰しも⾃⾝が⾝につけた「わざ」と、わざや表現についての⾒⽅や考え⽅をもっています。学校教育では指導者がそのことを⾃覚し、これから学ぼうとする⼈の⽅向性を規制してしまわないようにしなければなりません。学ぶ側の主体性と多様性を確保するためには、指導においてどのようなことが課題となるでしょうか。 先⾏研究による「わざ⾔語」の検証は、指導者:学習者 =1:1あるいはこれを基本形としています。これを学校の芸術教科で実践しようとすると、学習者の⼈数や授業形態についての検討が必要になってきます。「わざ⾔語」は説明⾔語のように⼀⻫指導による効果を発揮しないことや、学ぶ側の状況や段階を離れては成⽴しないことのハードルをどのように超えていくか、これらは実践するときの具体的な課題になってきます。 わざにかかわる学びは、クラス全員に説明できただけで完了せず、「わ
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