たしの⾝につける」ということがクラス⼀⼈ひとりに起こっているかがポイントです。学びの初期段階にある学習者よりも、すでに⼀定程度「わざ」や⼿法を⾝に着けている学習者の⽅が、かえって難しくなります。たとえば、野球やランニングでフォームを改変したり、楽器の弾き⽅をかえたり、書の⽤筆をかえたりするような場合を思い浮かべてみてください。「⾝についている」状態というのは、初めはぎこちないやり⽅であったかもしれませんが、何度も繰り返し意識して練習するうちに次第に意識しなくても「そうなる」状態を指します。わざが⾝につくということは、⾃分の⾝体の⼀部のようになるということです。ですから、別のわざや⽅法を再び⾝につけるためには、⾃分の⾝体をリセットし、新しいやり⽅で意識的に取り組む必要がでてきます。その過程では、意識して別のやり⽅を試みているけれども「つい、元のようになってしまう」という状態が繰り返しおとずれるのです。経験がある⼈は、その感覚がよくわかるのではないでしょうか。 指導者の意識とそれを取り巻く学びの環境 こうした困難に⾃ら向かうことができるのは、信頼できる指導者のもと、⾃⾝をふりかえりながら、向かおうとする⽬標がしっかり設定できるときです。わざを⾝につけるということは、わざに対する⾒⽅や考え⽅、それが作品づくりである場合には、表現はどうあるべきかという姿勢に関わってきます。指導者が気を配るべきことは、⾃⾝の⾝についたわざによって、多数の学習者の「わざの学び」を、無意識のうちに規制してしまわないようにすることです。指導者は頭では「⽣徒⼀⼈ひとりの表現を⼤切に」と考え願ってはいても、「⾝についた」わざや表現というものは、先に⾒たように、⾃⾝で意識的に把握することが難しい性質をもっています。そのため、実際の指導の場⾯では知らず知らずのうちに、わざだけではなく学びのあり⽅も含めて⽅向づけてしまうことがあるわけです。 このように述べると、指導者だけが負っている課題や責任という印象を免れませんが、そうではないと私は考えます。このような実践課題に取り組むことが難しい原因のおおもとをたどると、これまで学校教育が⽬
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