場してきますから、意識しなければこれらの表現に何の抵抗も⽣じません。ですが、よく考えてみると、⾷べてみたこともない「線」を「⽢い」と⾔い、触ったことのない「声」を「柔らかい」と表現することができるのは何故でしょうか。さらに⾃分以外の⼈ともそうした感覚を共有しているといえるのは何故でしょうか。「共感覚⽐喩」に関する研究は、このような問題意識から、異なる感覚器官で知覚される現象が、他の感覚に転⽤されて⽤いられる語について⾏われています。武藤彩加は共感覚⽐喩のメカニズムを分析し、感覚間の意味の転⽤、つまり共感覚⽐喩の理解を⽀えるものは何かについて考察しています4⁾。⽇本語における⽐喩表現を中⼼に検討しながらも、異なる⾔語における語⽤にも対象を広げ、⾝体性に由来する制約(⽣得性)と環境からの影響(経験性)が⾔葉の意味にどう関わるのかを考えていこうとしています。 私たちは「⽢い線」という表現を通して、具体的にどのような線かをイメージすることができます5⁾。「わざ」を感性で捉えるとき、このような共感覚⽐喩に出合う場⾯は多くあります。この共感覚表現が「わざ」のあり⽅にどのように関係してくるかを研究することは今後の課題となりますが、現時点では、⾃他の感覚を伝えあい「学び」を媒介する⾔語のあり⽅として注⽬しています。 こうした研究が進むと、外国で⽣活してきた⼈たちが⽇本の⽂化をどのように受け⽌めるのか、そのとき⾔葉はどのようにはたらくのか、指導者は何に⽬を向けていく必要があるか、などを準備したり考えたりすることができるようになります。また、学校教育では、常に⾔葉とともにある国語、歴史や地理にかかわる社会、感性をはぐくむ芸術教科、⾝体の活動をささえる保健体育など、教科間で連携することによって共通する課題に取り組むことができるようになります。 OECD教育研究⾰新センタ―のプロジェクトにみる「学びの技」6⁾観 ⽇本を含むOECD加盟国は、地球規模の知識基盤型経済において求められるスキルを重視しています。このいわゆる「21世紀型スキル」は、経済・社会における⾰新に⼒を与えるようなスキルのことで、創造⼒、想像
元のページ ../index.html#7