学びに「わざ」あり-言葉のはたらきを通してみる感覚の共有-(萱 のり子 著)- 奈良教育大学 出版会 ー
8/11

⼒、コミュニケーション⼒、チームワーク⼒等が挙げられます。こうした⽅向性に対し、芸術教育は⼤きな可能性をもっています。当センターによる研究では、芸術教育のインパクトに関する様々な報告を整理して今後のメタ分析のための基礎が⽰されています。なかでも留意しておきたいのは次の点です。 芸術教育の可能性は、芸術の学習が他の分野の課題解決に有益になるという理由や、役⽴つためのスキルを提供できるという理由によるのではありません。「学びの技」の成⻑という観点にたって、「芸術教育の第⼀の意義は、芸術に内在する価値とそれに関連するスキル、それらが育む⽇常的に芸術を楽しむ精神であるべきである。(中略)芸術は教育を受ける権利を考える上で重要である。芸術には正しい答え、間違った答えというものがなく、探求したり試したりする⾃由を与えるからである」7⁾と述べられています。 学びに「わざ」あり 以上のような観点から芸術における「わざ」とそれにかかわる「⾔語」を⾒通すと、⽇本の教育政策の柱となっている「⾔語教育の充実」という⽬標について、複数の尺度を⽤意していく必要性があると⾔えます。多様性を理解することや他者と共⽣していくことには⾔語が重要な役割をはたしますが、それは記述や説明のための運⽤能⼒を⾼めることとイコールではありません。芸術教育が⾔語を運⽤するための⼿段とならないために、説明したり記述したりするはたらきとは異なる⾔語の姿、⾔語によらないものが発するメッセージ性などをも併せて⾒ていくことが必要になります。 私たちが踊ったり、歌ったり、描いたり、書いたり、するときには、⾝体を使います。⾝体活動を通じた「学び」は常に更新されていくものですから、そうした活動ではプロセス⾃体が価値をもっています。そう考えると、芸術教育には、わざを学ぶことだけでなく、学びのわざが⼤切であることが浮かび上がってきます。

元のページ  ../index.html#8

このブックを見る