ブックタイトルならやま2015夏号

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ならやま2015夏号

附属学校園ニュース[附属学校園]http://www.nara-edu.ac.jp/guide/garden.html附属幼稚園3月8日学生サークルと触れ合った“だいがく探検”年長児の卒園前の3月に、全園児が縦割りグループに分かれて「だいがく探検」に出かけました。大学の先生や学生さんの協力を得て、大学構内を探検しながら大学ならではの体験をさせてもらいました。武道場では、剣道部のお兄さんに竹刀の振り方を教えてもらい、実際に叩かせてもらいました。舞踊場では、ダンスサークルのお姉さんたちと一緒に早いテンポの曲に合わせて楽しく踊りました。理科の先生が飼っているヤギに乗せてもらったり、えさをあげたりもしました。その他、楽器演奏に合わせて切り絵をするところを見たり、幼年教育専修の学生手作りのロボットパズルをしたり、絵本のひろばで紙芝居を読んでもらったりと、盛りだくさんの楽しい体験ができた1日でした。附属小学校4月13日“みんなで一歩を”新しい仲間92人を迎える“1年生をむかえる会”。テーマは、『新しい仲間とおたがいのことを知り合いみんなで一歩をふみ出そう』でした。6年生が考えたものです。このテーマの「おたがいのことを知り」には、2~6年生は1年生の顔や名前、歌声を知り、1年生には附小のよさを知ってもらって安心してもら附属中学校5月16日~29日う、という意味がこめられています。また、「みんなで一歩をふみ出そう」には、この“会”で附小の1年生一人ひとりを“あいぼう”の6年生が紹介みんなが初めてそろい、ここから附小の1年を始めるんだという意欲がこめられています。そうした気持ちをあらわすために、2~6年生はいろいろな準備をすすめました。体育大会の応援の仕方を1年生に知らせる附中ESDの中核行事である曽爾野外活動・答志島臨海実習・沖縄平和学習5月は、全学年が附中ESDの中核となる宿泊行事に取り組みます。1年生は1泊で曽爾高原での野外活動、2年生は2泊で鳥羽市答志島での臨海実習、3年生は3泊で沖縄での修学旅行です。1年生は、附中での3年間をともに過ごす仲間との連帯感を、西浦峠登山やキャンプファイヤー・野外炊飯を通して高め合いました。2年生は、初日の漁家訪問で、漁家のくらしや漁業環境の変化など貴重なお話をうかがい、翌日は理科の磯観察で、ヒトデや貝、海浜生物などの観察、スケッチ等を行いました。3年生は、初日は平和祈念資料館見学、ガマの体験、平和集会、戦争体験者の方の講話、2日目は現地学生ガイドと共に、戦跡や基地などを巡り、民家宿泊体験をしました。1年生は、仲間と共に素晴らしい曽爾高原の自然に触れることで、ESDで養いたい力の一つである「人は自然の一部である」ことを体感し、2年生は、漁家さんからのお話で、ESDのキーワードの一つである「将来世代への責任感」を感じ、「環境容量理解」について学習しました。奈良での暮らし方により、ひいては遠く離れた三重の海洋汚染にもつながることを学びました。3年生ではESDで特に大切にしている「いのち」「平和」というテーマに迫る深い学びができました。「戦争では人間の尊厳がたやすく踏みにじられること」「問題の本質を見抜く力」「現実的な課題に取り組む力」など、ESDで育みたい力や学びの手法が沖縄で培われます。奈良に息づく仲間たち[自然環境教育センター]http://www.nara-edu.ac.jp/ECNE/自然環境教育センターつじのりょう准教授辻野亮セミの声夏のセミは、夏休みの開幕を告げるファンファーレである。もっともやかましいのはクマゼミであろう。クマゼミは黒い大型のセミで主に午前中にジャンジャンと鳴く。奈良市では7月初旬頃から鳴きはじめる。私たちからするとセミは夏の生き物と思ってしまうが、実はセミは数年間地面の中で木の根の汁を吸って生きており、夏のある日に地表へ出てくるにすぎない。セミは人々から見えないところで数年間必死に生長しないと鳴くことができないのである。夕方にセミの幼虫が地中から出てきてのそのそと歩き、木などに登って羽化する。もしかしたら、それを見てセミの地中生活を想像した人もいるかもしれない。でも多くの人はセミがやかましく叫ぶ声によってのみ、その存在に気付くのではないだろうか。セミが鳴くのは人生のごく限られた期間だけである。それを聞いている人々といったら、最初はセミと共に訪れた夏を喜び、シーズンの半ばにはうるさく感じ、いつの間にか聞こえなくなったことにさみしさを感じる。それでも人々は、セミが鳴いていた頃に学んだことや楽しかったことをセミの声と共に一生覚えている。あれだけやかましく叫んでいても、夏が終わればいつの間にか聞こえなくなっている。いったいいつまでセミは鳴いているのだろう。SUMMER 2015ならやま_22