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概要

ならやま2017秋号

クローズアップ望月玉泉『玉泉習画帖』第四冊(龍)、「香魚」(1891)竹内晋平研究室所蔵した実際の絵画教育についてです。100年以上前に使われた教科書なので、すでに散逸が進行し収集作業も容易ではありません。そこで、大学が夏休みになり、まとまった時間がとれると全国の図書館や資料館、そして古書店、古美術商などをまわって収集を進めます。そんな収集の作業を進めていると時折、「あの教科書で見たものとそっくりのモチーフだな…」という出会いがあります。例えば、明治時代に京都で活躍した日本画家・望月玉泉(1834 ー 1913)が作成した図画教科書(左上)と、同じ玉泉が描いた掛軸(右上)には、いずれにもよく似たアユが描かれています。描かれたアユの数に違いがありますが、魚体の描き方だけでなく線で表現された水面にも親近性が感じられます。おそらく、この図像は画家の中で定型化した構図として成立したものであったか、流派が保有する同一の粉本から引用されたと想像されます。この他にも玉泉が作成した図画教科書には、江戸時代に活躍した円山応挙(1733 ー 1795)による「朝顔狗子図杉戸」(板地着色、東京国立博物館)と酷似する子犬が描かれています。そして玉泉の教科書には、呉春(1752 ー 1811)の「蔬菜図巻」(紙本墨画淡彩、泉屋博古館)に描かれた聖護院蕪、松村景文(1779 ー 1843)「花卉図」(板地着色、善願寺)の黄蜀葵等と親近性の高いモチーフも掲載されています。このように、日本画家が作成した図画教科書に自身や自身に近い流派の作風があらわれる例は、明治時代中期の図画教科書で散見されます。特に『玉泉習画帖』ではこの傾向が顕著で、円山・四条派の描望月玉泉「青楓香魚図」掛幅、部分(1911)竹内晋平研究室所蔵法が明治時代の女子教育で花開いた例であるといっても過言ではありません。おそらく、円山・四条派の優美かつ繊細な雰囲気が、明治時代の女子教育において期待された良妻賢母のイメージと重ねられたためだと考えられます。明治時代の学校教育には、西洋の制度や教育方法が流入しましたが、絵画教育においては日本の伝統文化に根差した教材作成が模索された時期でもありました。換言すれば、これらの図画教科書は、江戸絵画の伝統を後世に伝えるメディアの役割を担っていたと位置づけることができます。現代の美術教育への示唆このような美術教育史の研究は、未開拓の部分が多くこれから明らかにしなければならない点がたくさんあります。一方で、私は美術教育史研究と並行して、「美術教育史研究で得られた知見をどのようにして現代の美術教育にフィードバックするのか」というテーマでも研究を進めています。具体的には、明治時代の教材を使用して、小学校の図画工作科で11_AUTUMN 2017ならやま