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概要

ならやま2018春号

クローズアップ娘が2歳のとき日本に帰国すると、例にもれず、保育園に入るためのウェイティングリストに載りましたが、数ヵ月後、幸運が重なって、保育園に入ることができました。保育園では、目から鱗の連続でした。「保育園の先生が、こんなに子どもの気持ちを考えているなんて!」「一見、困ったことに思えた子どもの行動も、成長しようとして足踏みしている姿だったんだ!」という驚き、そして、我が子を自分(たち)だけでなく、少し違った角度から見て一緒に考えてくれる人がいることの心強さ…保育の奥深さに、一気にはまりこんでいきました。子どもたちの100の言葉子どものおもしろさと保育の奥深さにはまりこんだ私は、文学を学んでいた大学院を中途退学し、教育学の大学院に入り直しました。そこで保育について学ぶほどに、興味は深まっていきました。中でも、イタリアの地方都市レッジョエミリアの幼児教育の哲学にふれたときは、わかったようでわからないもどかしさを感じ、「もっと知りたい」と思いました。レッジョエミリアの幼児教育を牽引したローリス・マラグッツィという人の詩に次のようなものがあります。「『子どもは100の言葉を持っている』とは、どういう意味だろう?」そう自分に問いかけながら、保育現場の子どもたちを見に行きました。すると、子どもたちは、先生や隣にいる子どもたちをよく見ていて、真似をしたり、視線を交わして互いの意図を汲みとったり、「これ、見て」と物を見せて刺激を与え合ったりしながら、非言語的なやりとりをしていることに気づきました4、5歳になってくると、子どもたちは文字の“A,B,C...”や「あいうえお」に興味を持つようになってきます。しかし、これは文字だけに限ったことではありません。素材とのかかわりでも、子どもたちは“A,B,C...”や「あいうえお」を見つけていきます。たとえば、粘土で遊んでいても、点、線、ねじねじ、ぐるぐる…と、子どもたちは、粘土とのかかわりの中で、言葉を見つけ出していきます。私たち大人がいつの間にか忘れている言葉を、子どもたちは互いに読み取り、自分の創造や表現につなげているのです。デザイナーでもあり保育者でもある伊藤史子さんは、レッジョエミリアで見た5歳児の粘土の言葉の“A,B,C...”を写真のように再現しています。子どもは百の言葉をもっている。けれども、その九十九は奪われる。(ほかにもいろいろ百、百、百)学校も文化も頭と身体を分けこう教える。【中略】つまり、こう教える。百のものはないと。子どもは答える。冗談じゃない。百のものはここにある。ローリス・マラグッツィ(佐藤学訳)(C.エドワーズ、L.ガンディーニ、G.フォアマン、『子どもたちの100の言葉?レッジョ・エミリア市の幼児教育』世織書房)伊藤史子さんが見た「粘土の言葉」の再現子どもの「見せる」行為に注目して子どもたちは、様々な言葉を使って、自分を表現しています。そのような言葉に耳を傾けたいと思い、子どもの視線や、物を「見せる」という行為に注目しました。子どもたちが製作コーナーで物を「見て!」と言って「見せる」行為の事例を集め、その相手と機能について分析しました(佐川、2016,2017)。11_SPRING 2018ならやま