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概要

ならやま 2018秋

学長対談×奈良国立博物館館長特集に見ようというような傾向が強いように感じます。そうではなくて、それらは後からでも学べば良いのだから、まずは、自分の考えで、どこが良いと思うか、どこを不思議に思うかなど、まずそこを感じようということですね。この文化財を見たら、そのどの部分を見なければいけない。何を受け止めなければいけない。というような見方が、日本の社会で一般化されているのかも知れませんね。感動して自分の感性を研ぎ澄ませて見る力を持つこと。それが人生を豊かにする。松本文化芸術という方面に特化した言い方になってしまうかもしれませんが、本来持っている人の心や精神や感受性、そういうものを、自分で引き出せるようにするというのが我々博物館人としては目指しているところです。もちろん、講演会をやったり、単純に講座をやって知識を広く吸収したい人たちに向かってやることもありますし、当然そういった期待にも応えないといけないんですけど。加藤AさんがAさんなりの感性や見方で引き出したものと、Bさんが引き出したものは、まさに多様性で、全然違っていてもいい、ということですね。松本そうなんです。そこからまた別の次元にいけると思うんですね。違う観点を持つことによって、お互いに対話が始まるかもしれないし。その対話の中で、その他に違う観点はないだろうかなんて想像したり、次のステップに行くことだってある。加藤違ってこそ対話だと思います。松本おっしゃるとおりです。同じでしたら「ふーん」で終わってしまう。むしろそこを出発点にしたいなと言うのが我々の立場です。加藤その当時、莫高窟には日本語の説明なんてありませんでしたし、中国語の説明を見ても、よく分かりませんでした。いったい私はどういうものを見てきたのだろうということを、後から調べました。そういう後づけ的な知識も大切ですが、「あなたはその場で何を考えてたの?」「何を感じたの?」「何を不思議と思ったの?」って、その場で感じたことが、一生の宝になると思います。松本私がこういう世界に入ってきたというのはやっぱりきっかけというかそういうものがあって、これは面白いなと、これは調べてみる、研究してみる価値があるなと思ってそういう道に入ってきたわけであって。加藤いろいろお書きになったものを、読ませていただいたんですが、お寺や仏像を訪ね歩くのがお好きだったそうですね。松本そうなんです。我々が中学生のときにお寺を訪ね歩くってそうそうなかったはずですから、ちょっと変わった子だったと思うんですけど(笑)はっきりとは覚えていないんですが、おそらく家に京都や奈良に関する本があったんだと思います。ふとその本を見ていると、奈良の仏像良いなあ、と。これはまず見てみるかと、それを見始めると次から次へと面白くなってくるわけですよ。それがこの道に入ってきたきっかけというか。それから自分で自発的、主体的に感性の素晴らしさを引き出す。あるいはそこから想像力を発揮する。あるいは自分で考える力を養っていく。そういう方向に鑑賞を持っていけるのではないかと気づいたんです。だから最初に申しあげたように、博物館教育という枠組みではありますけど、私たちはあくまでもその第一歩をアシストする媒介者であり触発者であるわけです。加藤私たちは、奈良国立博物館にある文化財を、教育という視点からそれを教材化していくわけです。教材化して、子ども達にどういう体験をさせるのかを考えます。そのときに、「1+1は2だよね」というような、決まった答えがそこにあることがベースにあるということを先程言いました。しかし、一方で、10人いたら10人のばらばらの考えが芽吹いてきます。そこで芽吹いたものが、「あなたは何を思った?」「あなたはどこを見て、どう思った?」というような問いへの、それぞれの考えや、思い、感性などです。それらを、お互い認め合い、尊重して対話することができなければ、日本のものづくりにしても良いものは出てこないのだろうなと思います。松本そういう意味ではやっぱりこれからますます、新しい時代の教師像、教員像というものが求められてる気がしますね。加藤そうだと思います。教育は今、かなり大きく舵を切っているのだと思います。「学ぶのは何のために学ぶのですか」という問いかけがなされているからです。AUTUMN 2018ならやま_4