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概要

ならやま 2019夏

奈良教育大学は新薬師寺の旧境内地だった!?教育資料館の耐震改修が終了し、内装や展示ケースがリニューアルされた。教育資料館は明治に旧陸軍奈良聯隊に建てられた糧秣庫(食料庫)だった。奈良教育大学構内は、東半分が新薬師寺の旧境内であり、新薬師寺の奈良時代の中心的建物である七仏薬師金堂が北東の隅から発掘調査された。この地で奈良時代に聖武天皇の病気平癒の薬師悔過が行われていた。展示物は新薬師寺旧境内出土の奈良時代の瓦を中心に、奈良三彩片や灯明皿など供献された祈りの遺物、倒壊時の962年(応和2年)の遺物、上層の近世から近代の遺物などがある。加えて吉備塚古墳出土資料が新たに並ぶ。東側に現存する著名な十二神将塑像を安置する寺院となる。旧境内の中心であった七仏薬師金堂がどの位置にあったかはまったく不明であった。しかし、2008年の奈良教育大学構内の東北隅の校舎の改築に伴う発掘調査によって、約1000年ぶりに判明することになった。発掘調査された大型基壇建物は身舎が11間(約52m)、廂まで入れると13間(約60m)になり、江戸時代に再々建された現存する東大寺大仏殿とほぼ同じ東西幅になる。基壇の構造と大きさ等から奈良時代に建てられた七仏薬師金堂とみなされた。第三室の展示物はその雨落ち溝から出土した遺物を中心に展示してある。3多彩な出土遺物第三室を入って正面には、七仏薬師金堂の1/20復元模型がおかれる。13間の建物の西側4間の復元模型で、発掘調査と現在わかっている奈良時代の建物を参考に描かれた設計図をもとに、宮大工が寸分たがわず作り組み立てられた。須弥壇は西から3間が復元され、四天王2体、十二神将6体、薬師如来と脇侍の模型が配置される。展示は古い遺物から順次展示してあり、奈良時代前半の創建期の鋸歯文の入る興福寺式の瓦、奈良時代後半の伽藍整備期の東大寺式の瓦、奈良時代末から平安時代前期の修理が必要となった時期の瓦に分かれて並べられる。創建期の興福寺式の瓦は、東大寺の調査でも出土していて、光明皇后をめぐる藤原氏との関連を示す遺物である。また新型式の瓦や奈良三彩の破片も含まれる。962年(応和2年)の倒壊時の遺物としては、灯明皿片と当時大阪の陶邑から生産が地方に移った須恵器の古窯の一つで瀬戸の前身になる猿投窯の小壺(油壺)が出土し展示される。底面の糸切り痕が特徴でもある。鎌倉時代の伽藍再興期の仏教儀礼に使われた灯明皿を主とする壊れていない土器群が土坑(穴)に約100枚以上捨てられていた(埋納か)。今回新たに加わった資料は本大学構内の北西に位置する吉備塚古墳の出土遺物で、6世紀中頃の様式を示す三累環頭大刀七仏薬師金堂復元模型新薬師寺創建期瓦新薬師寺再興期遺物把頭、6世紀の特徴である馬具等の鉄製品、6世紀初頭の埴輪が展示される。最後に上層から出土した近世遺物、再開発期の井戸枠板材、聯隊から進駐軍期の遺物や煉瓦等が展示され、大学構内の文化遺産を網羅的に見学でき、ESD学習等の基礎資料としてなどに活用できる。今後、大学に保管されている山村廃寺の出土物等、近隣遺跡の重要資料を加えていく予定である。吉備塚古墳出土鉄製品と埴輪近代遺物SUMMER 2019ならやま_16