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概要

ならやま 2020 春

特集奈良教育大学の歩み明治26(1893)年当時の奈良県尋常師範学校しび全景。奥に見える東大寺大仏殿の屋根に鴟尾(鶏の尾っぽの飾り)がないのも注目される。…教育資料館所蔵明治40(1907)年。庭球部(女子)…教育資料館所蔵1917大正6(1917)年頃に撮影された写真。興福寺五重塔を背景に軍事演習で銃をかまえる学生ら。当時の軍備拡張に突き進んでいく世相が見て取れます。…教育資料館所蔵大正、昭和期大正期は、「師範学校」と「女子師範」とで幕を開けます。大正10(1921)年には奈良県実業補習学校教員養成所が開所し、「師範学校」の整備と拡充の時代を迎えます。昭和18(1943)年、奈良県師範学校と女子師範学校は統合・官立移管され、奈良師範学校の男子部・女子部となりました。奈良県実業補習学校教員養成所は、昭和10(1935)年に奈良県立青年学校教員養成所と改称され、昭和19(1944)年には奈良青年師範学校として官立移管されます。この2つの師範学校が統合して、奈良学芸大学が発足するのは、戦後の昭和24(1949)年のことです。奈良学芸大学は、大学・附属校とも校舎や校庭・敷地など学校としての基本的な施設が不備・狭隘で、登大路から新たなキャンパスへの移転が求められ、昭和32(1957)年に附属中学校が現在地に土地を確保したのに続き、大学も米軍キャンプ地跡の高畑地区への移転が決まり、翌昭和33(1958)年10月に移転しました。また、昭和413_SPRING 2020ならやま