ブックタイトルならやま2021年秋号

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概要

ならやま2021年秋号

うことなど、これら一人称体験は疑い得ない確実なことだと分かるのです。わたしの研究テーマは、自らの体験に基づいて世界の存在が確信されるに至る過程を、一人称の視点から精緻に記述するというものです。構成分析と呼ばれるこの手法の意義は、様々な種類の対象について「存在する」ということの意味をより深く、正確に理解できるようになることにあります。私が見るリンゴ、私が考える数5、私が意志する善演習の様子。テキストを精読する。は、どれもある意味で存在しています。しかし、体験に基づいて構成される過程や、存在者として通線上で営まれます。にもかかわらず、哲学の議論用するための条件は、対象ごとに異なります。そうは多くの人に机上の空論という印象を与えるかもした過程や条件を突き止めることにより、存在者のしれません。というのも自然科学と違い、哲学の仮背後に潜む存在の起源が解明されます。わたし説は実験・観察によって検証されるものではないは現象学の祖フッサールから以上の研究方法をからです。このことの背景には、それぞれの学問学び、世界と私の原初の出会いを求めて意識といの研究対象の違いがあります。自然科学は「世界うフィールドを日々探索しています。が存在する」という前提に立って自然界を観察し、その中に、たとえば物質の法則を見出そうと努めます。他方、哲学は上記の前提そのものを問い直研究室の取り組み・・・・し、存在する物質等ではなく、むしろ存在一般の意味・構造・様態を主題的に研究します。つまり哲学・倫理学研究室では、所属するゼミ生一人ひと「存在する」とはそもそも何を意味するのかというりが、各人の関心に応じて幅広いテーマについて研究ことを、「世界が存在する」という了解の背後に遡っを行っています。研究において、まず自身の驚きを他者て問うわけです。そのため哲学は自然科学の前提と共有できる「問い」の形に一般化・言語化することを無批判に利用できず、自ずと両者の議論の次元が求められます。こうして自ら設定した問題をめぐっては異なってくるのです。各々が「自分で考える」ことが、本研究室の主な取り組みとなります。とはいえ、自分が立てた問題が必ずしも真にオリジナ世界と私が出会うときルな研究主題であるとは限りません。むしろ、類似の問いが先人によって議論されていることのほうが圧倒的わたし(筆者)が専門とする現象学は、既存の前に多いでしょう。だとすれば、素手で難問に取り組むよ提を利用しないことを哲学固有の態度として徹底り先人の知恵を借りながら考えた方が、より深い真理にし、方法論的に練り上げます。現象学では「世界到達できるに違いありません。そのようなわけで、普段が存在する」という素朴な判断がいったん停止さの演習授業は、主に古典的著作の講読を中心に進めれます。現象学的エポケーと呼ばれるこの操作にられることになります。その際、過去の哲学者の思考が、よって、直接体験こそが最も確実な思考の原理で時間・空間を超えて、テキストに対峙する一人ひとりにあることが明らかになります。つまり、たとえ世界の届けられ、自身の思考と交流します。このことに、いま・・・・存在に確信が持てないとしても、「私が何かを見ここを共にするわたしたち哲学徒は、たえず驚きを覚えて・い・る・・・・・・・・」ということや「私に何かが見えている」といます。この驚きに導かれて、今日もわたしたちは「考えるAUTUMN 2021ならやま_12