ならやま夏号

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普段幼稚園ではできない理科実験を体験しました。2子どもたちが考えること教育プログラムは、学校教育の各段階に対応するために年次を進めるにつれて大きく成長して来ました。小・中学校の義務教育段階から高校教育....

普段幼稚園ではできない理科実験を体験しました。2子どもたちが考えること教育プログラムは、学校教育の各段階に対応するために年次を進めるにつれて大きく成長して来ました。小・中学校の義務教育段階から高校教育、教員養成のための理数、大学院へ。そして今、重要な原点回帰に取り組み始めています。附属幼稚園の支援を得て就学前の子どもたちへ科学体験を提供する取り組みです。子どもたちには、教科の分類はある意味関係がありません。たちまち素直に反応を返してきます。「おもしろい!」、「もっとしたい!」、「つまんない!」、「もういや!」と。考えてみると論理・抽象思考能力を、一体いつから獲得していくのでしょうか?よく言われるのは、「9.5歳の脳」です。子どもたちは、9歳半ぐらいから論理的思考や抽象的思考を獲得していくらしいのです。それでは、それ以前の幼年期の園児たちには、そもそも科学教育は無意味なのでしょうか?突然ですが、この一節、「むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんはやまにしばかりにおばあさんはかわにせんたくにいきました。」は、誰もが小さいときに聞いたのではないでしょうか。また、お父さんお母さんになってから、お子さんに話して聞かせたのではないでしょうか。そう、昔話の冒頭のくだりで、この後の展開によって、桃太郎や一寸法師やかぐや姫のお話になります。なぜこんなことを持ち出したかと言いますと、このくだりをよくよく読み返すと非常に抽象的でかつ論理的なことが再認識されます。「むかしむかし」っていつ?「あるところ」ってどこ?「おじいさん」「おばあさん」って一体誰?「やま」ってどの山?こんな具合に、全然具体性がないのです。でも、子どもたちは、すんなり受け入れて心地よくお話を聞きます。さらに、このフレーズは理論物理学を専門とする私からみるとかなり論理的なのです。「むかしむかし」は「時刻t」に、「あるところ」は「位置x」に読めます。言わば、『変数』として解釈できます。「おじいさん」「おばあさん」は、年齢の高い男女を意味しますが具体的な年齢は問題にしていません。必要なのは、【属性の区別】です。その後の一文で、男性である「おじいさん」は山で芝刈り、女性である「おばあさん」は川で洗濯という異なった作業をしています。しかも、川で芝刈りでも山で洗濯でもないのです。属性に起因する【拘束条件】があるのです。仮に「おじいさん」という属性をE、「おばあさん」という属性をHであらわすと、それぞれの行動をE(t,x)、H(t,x)という『関数』で表すことができそうです。桃太郎関数、または一寸法師関数、はたまたかぐや姫関数を加えると主役者がそろいます。もしかしたら昔話全体は、関数の集まりで記述できるのかもしれません。このように考えると幼児の脳は、極めて抽象性と論理性の高いお話をすんなり受け入れているように思えるのです。こんな全く具体性を欠くお話をおねだりまでして聞きたがる、そんな脳を持っているのです。そんな脳が、本格的な科学をどう受け入れるか非常に興味深い点です。ちなみに、マックスウエル電磁気学は電場Eと磁場H(と電荷密度ρ)で書かれるお話です。ストーリー展開は異なりますが。SUMMER 2012ならやま_8