ならやま 2013年春号

ならやま 2013年春号 page 10/24

電子ブックを開く

このページは ならやま 2013年春号 の電子ブックに掲載されている10ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
クローズアップ本学教員の研究を詳しく紹介史料から読み解く歴史歴史って、もう分かっていることばかりではないのでしょうか教科書を見れば、原始・古代から現代まですべてのことが分かっているという印象をもちます....

クローズアップ本学教員の研究を詳しく紹介史料から読み解く歴史歴史って、もう分かっていることばかりではないのでしょうか教科書を見れば、原始・古代から現代まですべてのことが分かっているという印象をもちますね。しかし、そうだとすると、もう研究することはないということになります。ところが、教科書の記述は書きかえられることがあります。私は高校で非常勤講師を2年間務めました。高校2年生を担当し、同じ出版社の日本史B教科書を使ったのですが、一年目と二年目で記述が大きく変わっていたところがありました。例えば、農耕の始まりについて、古い教科書でははじめは直播きしていたが、のちに田植えを行うようになったとありました。これは、私自身が高校で学んだことと同じでした。ところが、次の学年が使用した教科書では、早くから田植えが行われていたと書かれていたのです。私は考古学が専門ではないので、非常勤講師をするにあたり新しい研究成果を学んでおく必要があると思い、その頃出版された一般向けの『大系日本の歴史1日本人の誕生』(佐原真・小学館)を読んでいました。そこには新しい教科書と同じことが書かれており、自分が高校で学んだ内容との違いに驚いたのですが、それが教科書記述に反映されたわけです。もし、その本を読んでいなかったら、私は教科書記述の変化を十分に理解できたかどうか。教科書記述の変化は研究の進展を反映しています。研究が進展するということは、まだまだ分かっていないこと、考えなければならないことがあるということなのです。著書でとりあげた藤原良房について、どんなことが分かっていなかったのでしょうか藤原良房は、高校日本史教科書では必ずゴチック体で記されている人物の一人です。現在使われている日本史B教科書では、「858(天安2)年に幼少の清和天皇が即位すると、良房は天皇の外祖父として臣下ではじめて摂政の任をつとめ」と書かれています。私が学んだ教科書(1977年改定検定済)では、「良房は、(中略)臣下ではじめての摂政となり」と書かれていました。「摂政の任をつとめ」と「摂政となり」と微妙に表現が違いますね。さらに脚注で、現在の教科書は、「良房が正式に摂政の命を受けたのは、(中略)応天門の変の時である。しかし清和天皇は9歳で即位したため、実際は即位のはじめから天皇の外祖父であり太政大臣であった良房が、摂政の任を果たしたと思われる」とあり、私が学んだ教科書にも、ほぼ同様の記述がありました。では、良房が摂政になったのは、結局いつだと考えればよいのでしょうか。私自身高校で学んだとき、そんな疑問を感じました。その後、大学で学ぶなかで、良房の摂政の始まりについて議論があることを知りました。社会科教育講座プロフィールこん准教授今まさひで正秀専門は平安時代史。広島大学文学部、大学院文学研究科で学ぶ。著書に『藤原良房』(山川出版社日本史リブレット人)。現在『敗者の日本史摂関政治と菅原道真』(吉川弘文館)を執筆中。9_SPRING 2013ならやま