ならやま 2013年春号

ならやま 2013年春号 page 12/24

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クローズアップを留めていなかった文言にその答えが示されていたことに気づいたのです。2009年の論文では、良房は清和天皇元服にともない、摂政を辞する意志を示していたことを明らかにしました。そうすると、摂政は....

クローズアップを留めていなかった文言にその答えが示されていたことに気づいたのです。2009年の論文では、良房は清和天皇元服にともない、摂政を辞する意志を示していたことを明らかにしました。そうすると、摂政は天皇が元服すると辞めるというあり方は良房の段階ですでに考えられていたことになります。これも、新しい発見でした。ところが、良房の摂政を辞するという意志を清和天皇は認めなかったのです。良房の次の摂政藤原基経も、陽成天皇が元服したとき摂政辞表を出しましたが、これも認められませんでした。しかし、清和天皇はのちに、摂政は幼少の天皇に対するものだとはっきり述べているのです。これをどう考えればいいのかという新しい課題が生じたのです。政治史の課題は、下手をすると力関係や状況論で説明されてしまいがちです。が、そうではなく、当時の天皇も、良房や基経自身も、また彼らと同じ貴族たちも、いわば当事者が納得できる理由、論理を見つけられないかと考えたのです。私なりに得た理解の妥当性については、拙著をご覧になってください。歴史研究のおもしろさと学生へのメッセージをどうぞ歴史研究は残された史料から過去のできごと、史実を復元し、復元された史実相互の関係を考え、それを広げ深めることで一つの時代像や社会像とその変遷を明らかにすることを課題としています。そうした研究のあり方に照らせば、歴史研究の醍醐味の一つはこれまで知られていなかった新しい史実を掘り起こすことでしょう。いま一つは、これまでよく知られていた史実について再検討し、新しい解釈や意味づけを示すことです。摂政制、摂関政治についての私の研究は後者です。場合によっては、誰もが知っている史実の解釈や意味づけを書きかえるというのは、新しい史実の発見よりもワクワクするものです。今は、菅原道真について、そうした作業を進めています。ただし、新しい見解が多くの研究者の支持を得られるかどうかは、史料の読み方の正確さや深さ、史料からの史実復元や、史実相互の関係を考えるときの論理の確かさにかかっています。その意味では、研究者の姿勢や資質が厳しく問われるのです。それは、歴史研究だけでなくすべての分野の研究についてあてはまることだと思います。また、研究の成果を次世代に伝えていく教育についても同じことがいえると思います。教科書のほんの数行、あるいは数文字の短い記述であっても、その意味を本当に理解するためにはたいへんな努力を必要とします。さらに教育においては、自分が理解すればよいだけではなく、それを他者が理解できるように伝えることが求められます。教科指導における教材(教科内容)研究と授業構成(授業法)研究です。最近、「学び続ける教員」の育成が強調されていますが、個人的にはことさらにそのようなことをいわなくても、学びを促す者自身が学ばないことなどありえないと思っています。そして、学びを支えるのは学ぶこと自体がおもしろいという実感であり、分からなかったことが分かったときのよろこびです。私も含め研究者が研究を続けるのは、それに魅せられているからです。教員をめざすみなさんは、学ぶことの意味とおもしろさ、厳しさ、分かることのよろこびを大学での学びを通じて体感してください。そうすれば、それを児童・生徒に伝えることができるし、伝えたいと思うようにきっとなると思います。私も、自身の研究と教育を通じて、学ぶことのおもしろさとよろこびをみなさんに伝えていくことができるよう、学び続けたいと思います。『日本三代実録』頁中ほどにある貞観年八月十九日条(枠囲み部分)には藤原良房に天下の政を摂行せよとの清和天皇の勅が、二十二日条にはそれに対する良房の辞表が載っています。辞表傍線部からは、清和天皇元服時に良房が摂政を辞しようとしたことが分かります。11_SPRING 2013ならやま