ならやま 2013秋号

ならやま 2013秋号 page 12/24

電子ブックを開く

このページは ならやま 2013秋号 の電子ブックに掲載されている12ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
クローズアップモンゴル相撲ント(ゲルと呼びます)と最小限の家財道具だけを持ち、家畜と共に生きています。モノに囲まれて暮らしている私にとって、彼らは何も持たないように見えましたが、しかしすべてを持ってい....

クローズアップモンゴル相撲ント(ゲルと呼びます)と最小限の家財道具だけを持ち、家畜と共に生きています。モノに囲まれて暮らしている私にとって、彼らは何も持たないように見えましたが、しかしすべてを持っているようにも思えました。モンゴルの人々は、顔かたちはもちろん、言語学的にも地域的にも私たちと近しい人々です。にもかかわらず、遊牧を生業としてきたからでしょう、暮らしに根ざす価値観や世界観が私たちと異なるように感じます。そうであるならば、彼らの「スポーツ」や「身体」に対する考え方は私たちとどこが違うのだろうか?――スポーツ・体育を専門とする私は、彼らのスポーツに関する思考を明らかにしたいと考えるようになりました。人にとってスポーツとは何か?求めるべきスポーツ・体育の姿とは?――例えばこうした本質的な問いを考えるときに、自らの価値観を出ることなく想定内からのアプローチでは、その実質に迫ることは難しいでしょう。私たちが当たり前だと思っている考えを、改めて考え直すように促してくれる「異なる視点」が必要なのです。モンゴルのように、我々と異なる価値観で生きる人々がスポーツに関して大切にしているもの、信じているものを明らかにし、そこからもう一度、私たちにとってのスポーツや体育を考え直すことが大切でしょう。その後、私は、現地調査の場所をモンゴル国と定めて定期的にフィールドワークに赴き、時にはモンゴル相撲の力士と行動を共にし、時には競馬の馬を育てる遊牧民の家に寝泊まりし、牧畜作業を手伝いながら馬の調教方法を教えてもらって…ということをしているうちに現在に至っています。なぜ白鵬は強い?「なぜ白鵬や日馬富士は強いのか?」という質問をしばしば受けることがあります。その答えは一つではないでしょう。しかし私は、この類の質問をモンゴルの伝統スポーツの身体観の問題と考え、こう答えまひらす。彼らの身体が「劈かれている(解放されている)」からかもしれない、と。伝統的なモンゴル相撲の世界では、力士がプロでないこともあり、毎日コツコツと稽古を積むという習慣はありません。稽古は試合の2週間くらい前になってからというのが一般的です。その稽古も、草原の風通しの良い場所に仲間たちと移動し、そこで自然に浸りながらゆっくり身体を休めるという感じで、試合直前合宿の厳しい稽古を想像していると、そのゆったりとした時間の過ごし方に驚くほどです。しかし、その代わりの準備といっては何なのですが、力士は相撲をとる際、鳥が羽ばたくような舞をすることや、詩人から力士を褒め称える即興詩を吟じてもらうことを非常に重要視します。詩人が即興詩を吟じる中で力士が舞を披露することで自然から力を得て、相撲感覚を研ぎ澄ますというのです。モンゴルでは身体を「所有」(「私」が自分の「身体」を持ち物のごとく意のままに扱う)し、筋力や瞬発力を鍛え、能力の数値を上げるという発想はないようです。それよりも、身体を劈いて〈外〉から11_AUTUMN 2013ならやま