設置目的

 自然環境教育センター奥吉野実習林は奥吉野の山岳地域にあり、東西約1,500m、南北約1,200mの175.9haの広大な面積を有しています。
 林内の最高峰(清水峰)は標高1,186.2mであり、その大部分に自然林がよく発達しており、豊富な植物相と動物相を擁し、学術的にも大変貴重なもので、自然観察や野外活動のフィールドとして優れた環境を備えています。
 我が国では、科学技術の先鋭化とともに、自然への無関心や無知が大きな社会問題になり、若者や子供たちが親しく自然に接し、自然に学ぶことの重要性が叫ばれています。
 こうした状況の中、奥吉野実習林は大学・附属学校はもとより、地域社会における野外教育や自然教育のための中核的な施設として、広く利用されることを目的としています。
正面ゲートより


沿  革

 昭和22年4月、奈良青年師範学校に林業科が新設された。翌23年、地元の篤志家、竹原幸八郎氏(大塔村大字辻堂5番地)から林業実習の場として、500町歩の山林が貸与され、同年4月1日に、70年間の地上権設定契約が行われた。

 昭和24年5月31日、学制改革により奈良青年師範学校は奈良師範学校と合併して奈良学芸大学となり、旧林業科は職業科の職業第四講座と改められ、旧演習林は同学附属演習林と改称された。翌年、3月31日に、同演習林の管理のための事務所と林業実習のための宿舎(旧大塔寮199u、附属施設を合わせて205.43u)が新設された。
 貸与を受けていた演習林は、昭和30年6月30日に竹原氏より、500町歩のうち、175.9haを寄贈するとの申し出があり、翌31年1月5日に所有権移転の登記が行われて、正式に大学の所有になった。

昭和25年当時の旧大塔寮

 昭和41年4月1日に奈良学芸大学は奈良教育大学と改称され、同時に中学校教員養成課程・職業科が廃止され、旧職業科は中学校課程・理科の一専攻(農業)と位置づけられることとなった。その専攻も昭和48年に廃止され、以来、演習林は林業実習の場としての性格を失ったが、生物学や地学の野外実習、生活科の実習のフィールドとして、また、各サークルの研修の場として広く利用されてきた。

 昭和60年に木造の旧宿舎を解体、新たに鉄筋コンクリートの建物(宿泊施設「大塔寮」、199u、)が同年3月27日に落成した。平成元年に19uの収納庫を建て、建物の総面積は218uになった。

 平成6年6月奈良教育大学教育学部附属自然環境教育センター(省令施設)開設に伴い、附属演習林は同センターの奥吉野実習林となった。
 平成8年10月、教育研究棟(350u)が竣工するとともに宿泊施設の改修を行い、時代の要請に応えるべく自然教育あるいは自然環境教育のための拠点として新たなスタートを踏み出した。

昭和60年改修後の大塔寮


地形・地質

 奈良県の西南部に位置する高峯、伯母子岳(オバコダケ、標高1,344m)から北東に延びる山稜と、その山麓部を流下する赤谷川との間に介在する。山麓(宿舎所在地点)の標高は395.5m、山頂(清水峰の三角点)は1,186.2mであり、その標高差は約800mである。山腹は概ね北北西に傾斜し、赤谷川に臨む山麓部は急峻であるが、中腹から山頂にかけては比較的、緩やかな傾斜をなしている。林内には多くの谷が走るが、特に2本の谷が深い。その奥の方の谷(崩れ谷)は大きく崩壊しており、手前の谷(ワサビ谷)は流量の変化が少なく、標高600mの箇所に落差約20mの滝(隠れ滝)が存在する。
 地質は秩父古生層の砂岩、珪岩、及び粘板岩を基岩とし、山麓部の土壌は礫質砂及び礫質粘土で、その深度は浅く腐植質も少ない。中腹から山頂にかけては、粘質壌土または礫質壌土に被われて土壌の深度は深く腐植質に富み、地味は良好である。
実習林
(宿泊棟前広場より)


人工林

 昭和25年から28年、および44年から50年まで、毎年、スギ・ヒノキの植林が行われた。現在、スギは17.9ha、ヒノキは2.1ha、計20haの人工林が存在する。宿舎の周囲には植栽されたクヌギとコナラの小さな林がある。


自然林

 山頂部及び南の境界の稜線沿いに、ブナ・ミズナラの大木からなるよく保存された自然林が残っている。その他の地域は、戦時中の昭和19年から20年にかけて伐採が行われたため、その後に伐採跡に発達した二次林によって被われている。


施 設

 平地部には、講義室・標本室を備えた教育研究棟(350u)と、40人対応の宿泊施設(243u)がある。



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