英泉(Eisen 寛政三年−嘉永元年(1791−1846)

 狩野白桂斎に学び、のち菊川英山の父英二の家に寄寓し、英山の門人となる。水野日向守に仕えたと考えられる池田茂晴の子として生まれ、一時仕官したという。名は義信。俗称善次郎。別号は淫斎・無名翁・淫斎白水など。文化中ごろから美人画を発表しはじめ、中年には娼家を営むなど奇行が多く、艶麗な画風で知られた。いっぽう洋風をとりいれた風景画や漢画風の藍摺を出した。また千代田才市の名で狂言作者となり、浮世絵研究の基礎的文献である『無名翁随筆』などの著がある。


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