広重(Hiroshige 寛政九年−安政五年(1797−1856)

 歌川豊広の門人。江戸八代州河岸の定火消同心の家に生まれ、幼名徳太郎、元服して重右衛門と名乗る。十五歳のとき歌川豊広の門に入り、文政元年(1818)ころから美人画・役者絵を描く。号は一遊斎・一幽斎・一立斎・立斎。天保三年(1832)祖父の後妻の子仲次郎に定火消同心職をゆずって浮世絵師として独立。そのころ「東都名所」を発表し、風景画に開眼する。その後は「東海道五十三次」によって人気を得、「近江八景之内」「京都名所之内」「浪花名所図会」をはじめ、「木曽海道六十九次」「名所江戸百景」などの大シリーズを発表した。


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