国芳(Kuniyoshi 寛政九年−文久一年(1797−1861)

 初代歌川豊国の門人。神田の染物屋柳屋の子として生まれ、幼名芳三郎のち孫三郎。文化十年(1813)ころから国芳・一勇斎・朝桜楼と号して草双紙の挿絵・錦絵を描く。はじめ兄弟子にあたる国貞(のち三代豊国)に押されていたが、文政十年(1827)ころ「通俗水滸伝豪傑百八人之壱人」の揃物を出して武者絵の国芳として名をあげた。その後三枚続きの画面に大鯉を描くなど奇怪な風刺画でも知られた。芳幾・芳年ら明治初年に活躍した門人が多い。


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