STOCKINGER Arunaud Jean-Michel Alainさん 公開日  :  2017-04-28

Nara ISC/ 国際戦略センター(@奈良教育大学)

STOCKINGER Arnaud Jean-Michel Alainさん
【2013年10月~2014年8月 協定校交換留学生プログラム】

2013年10月から1年間、リヨン第3大学からの交換留学生として本学に在籍したアルノーさんが留学を振り返ってくださいました。

奈良での経験

 私は2013年9月25日から2014年10月7日まで奈良教育大学で留学しました。記事ひとつで語りまとめることが不可能に近いですがこれから私の経験について書かせていただきたいと思います。来日してからの3ヶ月は大変でした。フランスと日本の天気はあまり違わないですが来日した頃、日本がフランスよりずっと暑くて、自分が溶けるかと思いました。それが実際、恐るべく日本の蒸し暑さという現象だと次の夏になった時から知りました。それで、温度の差に従い、日本で初めて風邪を引いてしまいました。もちろんその時、風邪よりも、蒸し暑さよりも、日本語の能力の足りなさがとても辛かったです。留学の前、フランスのリヨン第三大学で日本語を2年間勉強しました。その頃、日本語ができる方だったのに日本に着いてから、しばらく全く上手に行けませんでした。しかし、留学生の皆さん、また担当者や先生の方々のおかげさまで諦めずに頑張ることにしました。ちなみに、少し誇りに思いますが留学生同士でいつも日本語で話していました。ある程度に、世界中から来た皆さんの個人性を和らげたかもしれません。そのおかげで皆でディスカッションをしたとき、相手のことを理解することがずっと簡単になっていたと思います。 奈良教育大学での留学が楽しい思い出に残る体験で溢れました。以下のようにまとめていきたいと思います。

 11月8日にて、陶芸体験のため、皆で近江八幡(おうみはちまん)へ行きました。近江八幡は琵琶湖(びわこ)の隣にあって、緑が多いところです。そこの水茎焼(みずぐき)という陶芸の技術を試してみて、みんなで盛り上がりました。店員さんにみんなの「製作」を預けて、焼けていただきましたがその焼き物は二週間後大学に届きました。自分の作ったものをいただいた時の喜びといったらありません。陶芸体験後、昼ご飯の時間だsったので予約していただいた可愛いお店でにぎやかにランチを食べました。そのすぐ後、デザートとして周りにあったアイス・クリーム屋さんで初めて黒ごまのアイスを試してみました。美味しくて感動してしまいました。そのまま昼の休憩が済みました。午後は水郷をボートでめぐりました。ちょっと暖かい天気のままでお昼寝したいぐらい気持ちよかったですがせっかく日本の緑が楽しめるところだったので頑張って眺めていました。大学に帰る前に八幡堀を散歩しました。安土・桃山時代についての歴史をいただきながら日本の古い町の雰囲気を楽しました。

 1月16日にて初詣をするかのように奈良県にある善光寺(きこうじ)を見学しに行きました。そこで僧侶さんにお経を読んでいただいた後、みんなで写経を体験しました。私は書くことが下手ですが面白くて一所懸命字を写しました。その後、ちょっと茶道の体験を楽しました。詳しく言えば茶の湯でした。日本の伝統的なお茶の飲み方は厳しいですが雰囲気を頂くのも茶道の1つのポイントでしょうね。日本のお茶は苦いので私の舌によく合わない味です。しかし幸いにしてお茶に甘いお菓子がついていたのでとても助かりました。喜光寺から帰ったら先生に喜光寺についての記事を頼んでいただきました。大変だったがなとなんく書けました。そうしたら喜光寺からお礼の言葉を頂きました。少しでも自分の日本語の能力に自信を持つようになりました。

 3月11日にて、日本の文化を味わうという目標でみんなと一緒に大阪へ大相撲を観戦しに行きました。外国では相撲はただおデブさんの戦いだと思われていて、私もその考え方を継ぎなら来日しました。しかしその3月の11日意外と感動してしまいました。とりあえず気になったところがたくさんありました。「なぜ力士は塩を投げるの?」や「勝った時、何をもらってるの?」などと質問がたくさんしたかったです。そして対戦そのものにもびっくりしました。とりあえず戦う時間が短いです。色々準備した後、力士は眺めて合うことでテンションが上がります。お互いに開戦が決まったら戦いが始まるみたいですが実は眺めて合う時から戦っているのでしょうね。それも感動の1つでした。

 4月9日にて答志島(とうしじま)へ小さい島の生活について学びに行きました。二日間の短い旅行だったが思い出がいっぱい作られました。バスで三重県(みえけん)にある鳥羽市(とばし)まで行って、それから大きな船に乗って答志島に着きました。私は小さい頃船に乗ることがあって鳥羽市と答志島の間にある海を渡ることだけで大分満足していました。と思っていましたが結局先生方のおかげさまで、また島で出会った方々のおかげさまで一生心に残る思い出ができました。上陸した後、「海女」(あま)という特徴的な女性の釣人に彼女らの仕事について聞かせて頂きました。彼女らは海に潜って色んな貝などを拾って帰ります。答志島の海女さんたちが普段着ている服も着させてくださって、みんながワイワイと盛り上がりました。海女さんの出会いが終わったらみんなは浜に行って日が沈むところを見に行きました。残念なことにその日が曇っていて何も見えませんでしたが留学生たちと先生方でたくさん写真を撮りました。そう言えば、留学生のベトナム人が2人いてその中の1人が写真とても上手で先生のとても綺麗な写真を撮りました。その後、旅館へ帰りました。日本は魚が美味しいですからいつも喜んで食べていましたが答志島のお魚は最高でした。ワカメも美味しかったです。いつか答志島へ行ったら、是非とも新鮮なお魚を食べてください。夜は凄かったです。みんなで出かけて真っ暗の島を歩きました。海が輝くところを見に行きました。ここでまともな言葉で表せない現状ですが簡単に言うと、海の中に生きている本当に小さい動物がいて、それらが何かにぶつかってしまって死ぬとき海を輝かせています。なんか悲劇的な見事性を持った動物だなぁと思いました。その次の日、天気が晴れていて釣人の持って帰ったものを発見しに行きました。初めて取り立てのワカメが見えました。その日は海女さんたちと先生方はクイズ・ラリーを開けて下さいました。4人か5人のグループに分かれて島の人たちに質問したり答えたりしました。大変面白くてみんな楽しめました。しかしあっという間にお別れの時間が来て船が出発しました。遠くまで暖かく送っていただいた海女さんたちの姿は嬉しくて、悲しくて、心に残ります。

 最後の正式なイベントは7月13にて行われました。留学生たちで日本の特徴的な文楽(ぶんらく)を大阪・日本橋の国立文楽劇場へ見にいきました。その日の作品は近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の書いた『平家女護島』(へいけにょごしま)と『槍の権三重帷子』(やりのごんざかさねかたびら)でした。正直に話せばよく理解できなかった物語でしたが文楽の技術に大変感動しました。あんな上手に人形を動かせるようになるまでどれだけ努力をせざるを得なかったか想像できませんが魅力的でした。太夫(たゆう)さんの技術も見事でした。

 更に、学校内でもたくさんのアクティビティ(活動)に参加できました。和泉元先生の教育論という授業を受けていた頃はその1つです。グループに分かれて、小学生にどうやって他国の文化、多様性について楽しく伝えらるかみんなで考えて授業のプランを1つ立てみました。それも人生で初でした。どうやって自分の文化を子どもたちに楽しんでもらえるかよく分からなくてとても困っていました。そもそもどうやって授業を楽しくできることが全く分かっていませんでした。でも、お互いにアイデアを交換して面白い授業ができたと思います。もう1つは食堂前でインターナショナルフェアを開いて自分の国のゲームや食べ物を紹介したりして日本人も留学生もすごく盛り上がりました。フランス人2人でクレープを作って日本人の大学生に食べてもらいました。そして、教育大学と言っても、「奈教」が提案しているシラバスで今まで勉強したことのない科目が選べました。従って、留学中に初めてジェンダー論や油絵や書道などのような授業に出れて自分のためにとても役に立ちました。

大学に様々楽しませていただいた上に何回も面倒を見てもらえたのです。例えば、先言ったように、風邪をひいたときお医者さんまで連れて行ってくれた支援課の担当者や進学についてたくさん相談に乗ってくださった先生の方々などの恩を決して忘れません。日本の他の大学は全然分からないですが奈良教育大学大学で留学に行けて本当に良かったと思います。

 しかし留学の経験は大学に限らず、人々を理解すること、または自分を見出すチャンスになると思います。留学生たちはずっと一緒に暮らしているため家族のようになってとても助かりました。悩んだり、少し落ち込んだりしていればすぐ軽く話してくれて元気をくれました。このようないい関係に基づいて、寛容さを覚えたかもしれません。そもそも、偏見を持たないようにしていましたが他国の文化に触れてその傾向が高まったと思います。その多様性との触れ合いは今でも私の人生を大きく影響しています。

毎日がそんな無事に過ごせたと言うわけでもありません。留学という経験は己に対面して己の短所を見出して自分の弱さを確認させる経験でもあると思います。それは私にとってとても辛い思いでした。弱い自分を見て落ち込むことがありました。しかし、その自分を意識さえすれば上達できるのでしょうね。私はそうしました。大変だと思っても前に向かって一歩ずつ進みました。そして母国や家族を恋しくなってうまくいかないこともあると思います。西洋人だとクリスマスの時が特に大変です。みんなは留学まで家族と一緒に過ごしてきたからです。更に、日本の文化に触れてたまにびっくりしたことがあります。例えばお礼の習慣です。フランスはお礼のとき同じ価値の礼をしますが(そもそもお礼で何かをあげるのが珍しいですが)、日本は人によって、お礼したいことの本性によって3倍の礼まで行けます。なかなか理解できない習慣ですが、いつかお礼のルールを覚えたら正しくしたいです。もう1つのポイントにびっくりしました。日本はゴミ箱が少ないですがお手洗いはたくさんあって綺麗で便利です。逆に、フランスはゴミ箱が多い割にお手洗いが少なくてとても不便です。しかも、ゴミ箱が多いのに道が日本よりとても汚いです。そこもフランスが日本を見習って欲しいですが無理かもしれません。

 帰国した後、リヨン第3大学で修士課程に入りました。修士論文のテーマを「橋口亮輔監督作品『ハッシュ!』における日本の男性性と男性同性愛者の表象」にして、去年修士号を得ました。現在はPhD(博士課程)へと進学することにし、まだリヨン第3大学に通っています。今回のテーマは大きく「日本のゲイ・シネマ」にしたいと思います。ちなみに、ゲイ・スタディーズをご研究されている先生がご存知でしたら是非紹介して下さい(苦笑い)。PhDとともに今はレストランでバイトしています。そして去年の9月から大学で一年生の和仏訳の授業を担当することになりました。理解してもらうのが時々大変ですが大体みんな真面目な生徒でよく参加してくれます。

 日本にいたとき色々があったので留学の物語りはこのへんまでにしたいと思います。やっぱり、思った通りに留学のような経験をまとめて語ることが難しいです。香りや光や気分などによる思い出が多いので全部書けば小説になるかもしれませんがとりあえず人生で最高でした。だから、留学生の皆さんに、支援課の担当者に、先生の方々に大きく、暖かく、この留学の経験を最高にしてくださってお礼を申し上げたいと思います。そして、日本もありがとうございます。これからもっと頑張ってまた行きます。一年間奈良教育大学で留学したフランスのアルノーでした。ぺこり。


  • 「リヨン第3大学のキャンパス」

  • 「終了式で世界各国の友達と」

  • 「答志島への学習旅行」

  • 「現在の私」
カテゴリ   :   卒業生 , 協定校交換留学生
最終更新 : 2022-02-25 13:48