学長対談(平成30年10月3日 於:奈良国立博物館) - 奈良教育大学

学長対談(平成30年10月3日 於:奈良国立博物館) 大学紹介

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奈良教育大学は、奈良にある国立の教員養成大学として、地域、特に奈良県における教員養成の中心的役割を果たしています。今回は、その奈良にあります奈良国立博物館館長の松本伸之様をおたずねして、文化財と教育のこれから、併せて一法人複数大学について、お話をお伺いしました。

加藤久雄学長
奈良教育大学 加藤久雄学長
松本伸之館長
奈良国立博物館 松本伸之館長














加藤
私の専門は日本語の語彙や文法ですが、1983年に外務省からお話をいただいて、中国の北京に行って、北京の大学で講義をすることになったんです。4ヶ月ほど北京に滞在しましたが、大変、貴重な経験をさせていただきました。
松本
そうですか。まだまだ拓かれてないときですね。
加藤
4ヶ月間、中国にいながらずっと北京に滞在していましたから、講義の仕事が全て終わってから、行ける所まで西に行ってみようと思ったんです。それで、北京からウルムチに飛行機で移動して、天池、交河故城、ベゼクリク千仏洞などをめぐりました。敦煌にも訪れました。
松本
敦煌にもよられたんですか。
加藤
ウルムチからは汽車でした。汽車で柳園という駅で降りました。敦煌では莫高窟も見ました。いかんせん教養がないものですから、どこを見るべきかということがわかりませんでした。案内もありませんでしたから。ひたすら、莫高窟を見てまわったのですが、「ただ、ただ、すごい。これはすごい。」と、感動しているだけでした。それを説明する知識が自分にはないわけです。日本に帰って来ても「すごかった」とは言えるんですが、知識をもって見ていないものですから、何がすごかったのかうまく説明ができないんです。
松本
そうですか。
加藤
新しい学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」ということを言っています。そこには、知識や理解、思考力や論理的についてはこれまで通り記載があるんですが、その次に深い学びとして、「人間としてどう生きるんだ」ということを考えさせようとしています。そこではやっぱり「感動する」ということが大切だと思うんです。莫高窟を見て、「これはすごい」と思ったような感動です。
松本
なるほど。そういった意味では世界遺産に関係の深い博物館でも似たようなところがあります。個々の作品ということになりますから、スケールの大きさという点ではなかなか及ばないんですけども。私たちは先生や教師ではないので、あくまでも博物館での教育という意味では、一番の根幹となっているのは、媒介者といいますか、触発者といいますか、つまり教えるわけではないんですね。 映画やテレビとかインターネットとちょっと違って、我々が相手している形ある文化財は何も語りかけてはくれません。ぽつんとそこにあるだけ。だから、見る人それぞれが、自分の意志なり感覚内から、問いかける、あるいは寄り添う。そういう主体的な動きが無いと、いくら人からあれは「ここが良いよ」「ここがきれいだよ」と言われたって、何にも感じない。 しかし、特に子どもはその辺り、意外と柔軟に受け取ってくれます。例えば、お茶碗があると、「何でできてるの?」あるいは「何でここは青いの?」と問いかけると即座にピンと反応してくる。そのためのとっかかりとなるヒントを与えるというのが博物館での教育の大きな方法論であり基本であると。そのような考えでいろんなワークショップしかり、ギャラリートークしかり、それから世界遺産学習しかり、そういうことにつなげていっています。ですからやっぱり、自分で感じる意識っていうのは人から教わるというものでもなんでも無いわけですね。
加藤
文化財を見てすごいと思えるような、いろんなところに着眼点が持てるように導くということですね。
松本
自分でそう感じるようになれるためのきっかけを与える。 これは私個人の見解になりますが、どちらかというと日本人は、自分で「積極的に見る」と言うことが苦手な人が多いんじゃないかと思います。これまで経験的にあまりやってきてない場合がどうも多いのかなと。 ところが不思議なことに欧米人って全然見たこともない初めてのものに「ん?」って食いついてくるんですよ。全員が全員そうではないですけれど、傾向としてです。 それはおそらく世に言われているところの小中学校からの教育。例えば絵画を見ながらいろんな話をするとか、そういう経験の有無が影響してきているのが大きいのかなと、個人的に思うところなんですけれども。 ただ、そういう国とか人種とか別にしましても、年かさが小さくなればなるほど、まだ何の体験もない、それから知識も無い。そういう段階から「自分から積極的に見る」という姿勢を育てていくというのが非常に大切ではないかと感じています。 年配者ができないかというとそんなことはありません。ちょっとしたきっかけで、そうなるんです。作品を見て、「いやちょっと待って下さい。ここにお茶碗がありますね。じゃあ、このお茶碗は何故こう、形は丸くなってるの?」「この青とこの白と、こっちと並べたら貴方はどっちがきれいだと思いますか?」とか、ひとつきっかけを作ると、段々自分で積極的にアプローチするようになるんですね。最初は強制的でも。はじめはその場限りのものかも知れませんが、その積み重ね、訓練というのがある意味で結構有効であると思います。 文化財を扱う博物館としては、ここに来て体験してもらうということが、とても大事な要素です。まず実物を見る、自分の目で。それは、実は博物館という現場でしかできないことなんですけれども、その辺りをどう普遍的に広げていけるかなと言うのが常々悩むところです。
加藤
現在の教育では、文化財に書かれている説明や、認められている価値などが前提にあって、それを理解するために見ようというような傾向が強いように感じます。 そうではなくて、それらは後からでも学べば良いのだから、まずは、自分の考えで、どこが良いと思うか、どこを不思議に思うかなど、まずそこを感じようということですね。 この文化財を見たら、そのどの部分を見なければいけない。何を受け止めなければいけない。というような見方が、日本の社会で一般化されているのかも知れませんね。
松本
文化芸術という方面に特化した言い方になってしまうかもしれませんが、本来持っている人の心や精神や感受性、そういうものを、自分で引き出せるようにするというのが我々博物館人としては目指しているところです。 もちろん、講演会をやったり、単純に講座をやって知識を広く吸収したい人たちに向かってやることもありますし、当然そういった期待にも応えないといけないんですけど。
加藤
AさんがAさんなりの感性や見方で引き出したものと、Bさんが引き出したものは、まさに多様性で、全然違っていてもいい、ということですね。
松本
そうなんです。そこからまた別の次元にいけると思うんですね。違う観点を持つことによって、お互いに対話が始まるかもしれないし。その対話の中で、その他に違う観点はないだろうかなんて想像したり、次のステップに行くことだってある。
加藤
違ってこそ対話だと思います。
松本
おっしゃるとおりです。同じでしたら「ふーん」で終わってしまう。むしろそこを出発点にしたいなと言うのが我々の立場です。
加藤
その当時、莫高窟には日本語の説明なんてありませんでしたし、中国語の説明を見ても、よく分かりませんでした。いったい私はどういうものを見てきたのだろうということを、後から調べました。そういう後づけ的な知識も大切ですが、「あなたはその場で何を考えてたの?」「何を感じたの?」「何を不思議と思ったの?」って、その場で感じたことが、一生の宝になると思います。
松本
私がこういう世界に入ってきたというのはやっぱりきっかけというかそういうものがあって、これは面白いなと、これは調べてみる、研究してみる価値があるなと思ってそういう道に入ってきたわけであって。
加藤
いろいろお書きになったものを、読ませていただいたんですが、お寺や仏像を訪ね歩くのがお好きだったそうですね。
松本
そうなんです。我々が中学生のときにお寺を訪ね歩くってそうそうなかったはずですから、ちょっと変わった子だったと思うんですけど(笑)。 はっきりとは覚えていなんですが、おそらく家に京都や奈良に関する本があったんだと思います。ふとその本を見ていると、奈良の仏像良いなあ、と。これはまず見てみるかと、それを見始めると次から次へと面白くなってくるわけですよ。それがこの道に入ってきたきっかけというか。 それから自分で自発的、主体的に感性の素晴らしさを引き出す。あるいはそこから想像力を発揮する。あるいは自分で考える力を養っていく。そういう方向に鑑賞を持っていけるのではないかと気づいたんです。 だから最初に申しあげたように、博物館教育という枠組みではありますけど、私たちはあくまでもその第一歩をアシストする媒介者であり触発者であるわけです。
加藤
私たちは、奈良国立博物館にある文化財を、教育という視点からそれを教材化していくわけです。教材化して、子ども達にどういう体験をさせるのかを考えます。 そのときに、「1+1は2だよね」というような、決まった答えがそこにあることがベースにあるということを先程言いました。しかし、一方で、10人いたら10人のばらばらの考えが芽吹いてきます。そこで芽吹いたものが、「あなたは何を思った?」「あなたはどこを見て、どう思った?」というような問いへの、それぞれの考えや、思い、感性などです。それらを、お互い認め合い、尊重して対話することができなければ、日本のものづくりにしても良いものは出てこないのだろうなと思います。

対談の様子

松本
そういう意味ではやっぱりこれからますます、新しい時代の教師像、教員像というものが求められてる気がしますね。
加藤
そうだと思います。教育は今、かなり大きく舵を切っているのだと思います。「学ぶのは何のために学ぶのですか」という問いかけがなされているからです。 例えば、エネルギーの問題を勉強して、その知識が増えても、家に帰ってそれに基づいた行動がとられないならば、その人は学んだことにはならないということです。そういう学びに変化していっているのに、以前と同じように知識詰め込み中心でやっていっても、創造ということがなかなか出てきづらいように思えます。
松本
我々も知識詰め込み型でずっときたものですが。それはそれで無駄になっているとは思ってないのですが、ただそれに終始してしまうというのは、もったいないです。
加藤
バランスなのかもしれないませんね。でも、感動して自分の感性を研ぎ澄ませて物事を見る力を持っている人の方が、人生はハッピーだと思います。
松本
そうですね。私は博物館という狭い空間にいますが、世間一般を見ても、感動しない人が多くなってきてますね。
加藤
「感動」というのはすごく大切なキーワードだと思います。
松本
本当の感動を知らないできているんじゃないかと。なんだか解らないけど「うわー!!すごい!!」と言うことはあります。涙を流すようなこともあるかもしれない。けれども、どちらかというとそういった万人に共通するありきたりの感動ではなくて、「いま生きていることの感動」とか、あるいは「本当に芸術的な作品を見て魂が打ち震えるような感動」とか、そういう経験って意外と少なくなってきているような気がしてならないんです。
加藤
知識を得て理解して何かを見たり、友達と学び合い、対話型で学んでいくなかで、感動という、揺さぶられる心がないと、深い学びというものにはつながらないだろうという気がするんです。 ですから、本学と奈良国立博物館の方とで協働で創った忍性 さんを題材とした授業作りを考えるにしても、「ええ? どういうことこれは?」「どうしてそんなことができたの?」というところで感動が生まれるようにしていくと、新しい学習指導要領が求めている「社会に自分がどういう役割を果たすのか」という学びに繋がっていくのだと思います。
松本
これも我々の世界に引き寄せた言い方になってしまうかもしれませんが、あらゆる面で文化芸術的な心、あるいはそれを味わう余裕、それが自然科学であろうと、人文だろうと、飛躍をもたらす源泉のような気がします。 主体性が自然に備わる方向で、自分で感じるようになれば、それを元に想像力って自ずと比例して、膨らんでくるんだと思います。自分でとっかかりをみつけて次のステップに繋げる。「ああ、これはなんだ」と、「これは面白いね」と。そうすると新たなことを知ったとき全く別の感動が起こるかもしれない。 でも、そこで飛躍していくために重要なのは、「大きな想像力」、これがやっぱり欠如しているような気がしてならないですね。特に若い世代の人たちには。 ノーベル賞をとった本庶先生もおっしゃっていましたけど、次の世代の人たちに想像力が足りないんじゃないかと、相当危機感を持ってらっしゃる。学問の枠を超えた、人としての心の躍動感、あるいはそこから生まれる想像力、そういうものを鍛えるには、作り出すには文化財には大きな力が宿っていると思います。何千年に渡る人類の叡智が込められていますから、そこから引き出せるものにはとても大きなものがある。もっともっとなんとか文化財を活用してその良さ、価値、素晴らしさを伝えていきたいなと思います。
加藤
感動する力、積極的に文化財を見る力がある人と、そうでない人と、その違いはどこから来ているんでしょうか。
松本
家庭環境なり育ってきた環境なりが大きいんでしょうけど、刺激の与え方一つでも変わるような気がします。 ちょっと話はそれるかもしれませんが、ネットあるいはデジタルで超高精細、8Kになると人間の目を超えるわけです。こんな大きな画面で肉眼では見えないところまで見えちゃいます。それなら実物を見るのは何なのかと、逆に問いが来るわけです。ネットで良いじゃないって。 じゃあ重さは解る?質感は解る?そういうところの違いを体験する機会が意外に少ないもので、実感することがないんじゃないかと思います。 実物を見ることによって、生の体験をする。高精細デジタルでも、インターネットでも決して味わえない、空気感まで。
加藤
私は博物館が大好きで、必ず、その地の博物館や美術館に行ってみることにしています。ワシントンDCに行ったらスミソニアン、ニューヨークに行ったらメトロポリタンに行ったり。分からないことも多いのだけれど、実物の前に立って見る、感じる、そういうことが大切なんだろうなと思います。
松本
日本の教育は、教える教育から入っちゃう傾向が強いですね。あるいは、何かを吸収してやろうという方向。そうではないんだよと、何も知らなくて良いんだよ。何かを感じてご覧なさい、というのが博物館なんです。美術館もそう。自分で何か問いを発してみなさいと。

一法人二大学について

加藤
奈良教育大学と奈良女子大学は、より一層の研究や教育の機能強化を考え、一法人複数大学でやっていくことを目指しています。また、奈良には奈良国立博物館、奈良文化財研究所や奈良先端科学技術大学院大学、奈良工業高等専門学校など特色をもった素晴らしい国の機関があり、それらがゆるやかな連携をして、学問の府である「奈良カレッジズ」をつくろうという構想で動きはじめています。これらの機関は、奈良にあることの意味をもって存在していると思います。本学で言えば奈良の地の教育を教員養成や研修の面で役割を果たすことです。地域創生にもつなげていくことも考えられます。このことについて、館長からもご同意いただいているわけですが、それらの機関での連携を具現化するためには、リベラルアーツということがキーワードになっています。そのあたりはいかがでしょうか。
松本
私にとってはリベラルアーツというのは新鮮に映っています。先程来申している延長線上なんですが、人間の本源的な部分につながっていると思います。人間養成、人間力それは精神であり、心であり・・・その部分を、奈良という地では、これから重点的にやっていけるのではと思うのです。 古い歴史を持って、身近に文化財があって、すぐ接することができる。これは一番地の利を得たところだと思います。
加藤
それこそ世界遺産学習をした子どもの話ですが、東大寺さんも、興福寺さんも世界遺産かもしれないけど、もしかしたら家の近くにあるお寺も私から見たら世界遺産と同じようなものだ、と言った小学生がいたそうです。すばらしい学びだと思いましたね。 この子が得たものは自分で自分の世界遺産を見つける力を、さっきで言う何かを見て感動する力を、そしてそれを言葉で表す力を、その子は持ってるんだと。それを学んだのだと思います。奈良は生活の目線の高さでいっぱいそういった文化遺産があると私は思っています。
松本
それを地元の人たちはあまり意識しませんね。最近では、奈良の地方の行政が段々声を上げるようになってきたところですが。 単純な意味での比較をするつもりはないですが、京都のわかりやすさに比べて奈良はわかりにくいですね、普通に見ますと。奈良の良さって何って言われてもなかなかすぐには思い浮かばない。奈良に興味をもつのは、一部の考古学者だけ、お寺や歴史が好きな人だけ、あるいは飛鳥のひなびたいにしえの都の跡が好きな人とか、限られている。そういう意味では盛り上げがいがあるというか、観光ベースではなく、文化を基盤としたものができる土地柄というか。
加藤
そうですね。そういう特色を活かして、奈良の地ならではのもの。例えば、これまでにないリベラルアーツをベースにした工学部を創ろうということや、文化財と工学をミックスして、新しい発想のものが創れるのではないかということ。感動をベースとしたもの、新たな気づきを大切にして、自発的に学べ、想像力を膨らませていけるような、奈良の地ならではの特色のある教育大学にしていきたいです。教養教育のところをはじめとして、奈良国立博物館とは、密接な連携を進めていきたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いします。本日は、ありがとうございました。

対談の様子

お問い合わせ先
奈良教育大学 総務課
TEL:0742-27-9104
E-mail:kikaku-kouhou