令和4年度奈良教育大学教育学部卒業式 告辞(3月24日) - 奈良教育大学

令和4年度奈良教育大学教育学部卒業式 告辞(3月24日) 奈良教育大学

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 かつて、ソメイヨシノは入学式を彩る象徴でしたが、ここ数年、私たちとともに卒業生を祝おうと、急いで咲いてくれるようになりました。

 本日ここに、晴れて、奈良教育大学教育学部を卒業される253名の皆さん、卒業おめでとうございます。あわせて、ご家族やご関係の皆様に、教職員一同、心よりお祝い申し上げます。

 ようやくコロナという長いトンネルの出口が見えてきました。在学中、3年もの間この影響を受けてしまった皆さんに、学長として今かける言葉は、「ありがとう」です。
 大学の一構成員として、未知なる脅威を正確に理解し、どう対応していくかを深く考え、決断し、そしてともに立ち向かい、ともに乗り越えてくれたことに、「ありがとう」と言いたいです。大学祭実行委員会が、学園祭の中止を断腸の思いで決断し、涙しながら私たちに報告してくれた日のことは、今でも忘れることができません。

 全世界のあらゆる人々が努力し、この困難を克服しようとしてきたことは、私も理解しているつもりでした。しかし、不覚にも、私自身、昨年の年末から新年にかけて罹患してしまい、大みそかも、そして元日も、医療に携わる人々が私のために、電話の向こうから心を込めて対応してくださいました。熱にうなされながら、やさしさが心に沁み「人や社会のために尽くす」その尊さを、あらためて実感しました。

 コロナはまもなく収束することでしょう。今度こそそうあってほしいと強く願うところです。しかし、「かつて経験したことのない」課題は、これからも、おそらく次々と私たちに押し寄せてくることでしょう。何が正解であるかはわからない、やってみなければわからない…。そんな課題に立ち向かわなければならないのが、もうすでに迎えている現在と、これからの社会です。それは、ここにいるすべての皆さんが、勇気をもって困難な課題に挑戦し、人々や社会のために尽くし、持続可能な社会の創造を牽引していく時代です。

 でも、ことさら不安に思うことはありません。なぜなら、皆さんは全員、必修科目としてESD(Education for Sustainable Development)を学びましたね。現行の学習指導要領、幼稚園教育要領に「持続可能な社会の創り手となることができるようにする」と示されて以来、ESDという言葉の認知はともかく、全国すべての学校において「よりよい社会を創る」という理念を掲げ、進んでいることは間違いありません。
 そして、「奈良教育大学といえば、ESDですね」と言われることも多くなりました。ですから、奈良教育大学を卒業し、学校現場で活躍する皆さんは、どうか自信をもって、「持続可能な社会の創り手となる人」を育て、職場や地域の方々と共に教育を牽引してください。
 また、学校現場のみならず、ESDやSDGsの達成のために取り組んでいる企業や自治体も多くあり、本学に対して協力が求められています。ESDのEは教育です。SDGsの17の目標達成は、人がなすべきことであり、達成できる人を育てるEは、その要です。教職以外の道に進む人も、ESDを学んだ教育学学士として活躍してください。

 「そんなに期待されても困る」という人、あるいは実践に悩んだ時は、ESDのテキストとして皆さん購入した、あるいは購入させられた(?)、『学校教育におけるSDGs・ESDの理論と実践』をもう一度読んでみてください。本学挙げて刊行した力作の書籍です。きっと、学生時代には気が付かなかった新たな示唆を読み取ることができるでしょう。

 さて、もうすでにご存知かもしれませんが、奈良教育大学は全国各地でESDの研修を行い、そこで実践力を身に付けた先生や、教師を目指す学生に「ESDティーチャー」としての認証を与えています。本年度は167名が認証を受け、これまでの累計も391名となりました。ここ数日、私もその認定証授与式に出向き、授与された先生方と話す機会がありました。そこで出会ったどの先生からも共通して感じることは、多忙な中にありながらも、教材開発や授業実践を、本当に楽しんでいらっしゃる、ということです。

 考えてみれば、それもそのはず。ESDの実践は、定められた指導内容をそのまま教えるのではなく、教師自身の、あるいは子供と共に暮らす生活の中で、「これは教材になるのでは」、「この課題を解決すればきっと世の中や生活は明るく楽しいものになるはずだ」、といった眼差しで、「探す」ということと「創る」ということを行っているからです。そして、子どもがそれに取り組み、成果を出した時の喜びや感動を見ると、そこに至るまでの苦労はすべて払拭され、教師としての生きがいを感じられるからです。真の「楽しさ」とはそういうものなのでしょう。
 人間にとって、ある一つの感動が次への生活や学習に強い影響とモチベーションをもたらすことは、先日のWBC、侍JAPANの活躍を取り上げて示すまでもありません。

 ESDは「持続可能な開発のための教育」として、何か特別な新しい教育である、と捉えられがちですが、それは正しいとは言えません。ESDは、すべての教育活動、学習活動に対する考え方や価値観の転換を迫るものです。
 ESDの理念を学んだ皆さんは、ESDを学んだことにより、「与え、学ばせる」というこれまでの教育観から、「自分と、人々と、社会の幸せのために、課題や問題を、感性によって、見つけ、知見を吸収し、それをつなぎ、融合させ、解決の方策を考え、考えたことを行動で発揮する」という、一連の学習観・教育観へと転換させていっていただきたいと思います。

 このこともまた、学校現場だけではなく、企業、自治体等、さまざまな職業においても、言えることです。「学び続ける」ということは、ふつふつと沸き上がる「学びたい」という欲求、そして、「私が学ばなければ」という使命感や必然性がありされさえすれば、それは創造的で楽しいものになるはずです。私はそう信じています。
 そしてさらに、学び続ける途上で少しずつ見えてくる「何か」があるはずです。あるいは一生かけて学びながら見いだし、形づくられていくもの。それは何でしょう。

 奈良教育大学は、昨年四月に奈良女子大学と法人統合し、奈良国立大学機構となりました。そのアドバイザリーボードに、ショパンコンクール第2位の反田恭平さんがおられます。本学の学生も出演した、奈良にゆかりのある若者と反田さんとのトーク番組『反田恭平の人生レッスン~若者と奏でる夢~』で、反田さんはこう言っておられました。

 「ぼくの存在意義は、僕にしか決められない」

 学び続けることによって見いだし、形づくられていくもの。それは、まさに「自分の存在意義」だと思います。ここでいう「学び」とは…。長いので繰り返します。「自分と、人々と、社会の幸せのために、課題や問題を、感性によって、見つけ、知見を吸収し、それをつなぎ、融合させ、解決の方策を考え、考えたことを行動で発揮する」という学びです。これが61年間生きてきて学んだ、私の学びです。

 最後に、短歌を紹介します。

 戦争と戦争までのつかの間を平和と言ふならあまりに悲しい

 これは、去る2月19日の朝日歌壇に掲載された、山縣駿介さんの歌です。
  持続可能な社会。それは「平和と人間の安全保障」がいつまでも続く社会です。その社会を構築していくためには、まだまだ解決しなければならない困難な課題がたくさんあります。コロナで実感した、「人とつながることの大切さ」、「人と会って話をすることの尊さ」を胸に、他者と手を携え、奈良教育大学で学んだことを誇りに、皆さん自身の幸せと社会の幸せのために、それぞれの道で活躍していただくことを切に願います。

 いつかまた、是非、奈良教育大学にホームカミングしてください。卒業生が訪ねてくれることは、教職員にとって、また在学生にとって大変嬉しいものです。卒業生である、かまいたちの山内さんが本学に来てくれた時、私は、自分の教え子でもないのに、ずいぶんとはしゃいでしまいました。あのコントや漫才に見る論理性と、エンターテインメント性は、奈良教育大学で培われたものと彼らの努力で花開いたものだと、勝手に思っております。

 皆さんの健康と幸せが、いつまでも持続可能なものになることを祈って、告示といたします。

 

令和5年3月24日
奈良教育大学 学長   宮下 俊也