学習の「主体性」と「地域」の自立志向との連動関係の探究(学校教育講座 片岡弘勝)

奈良教育大学
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学習の「主体性」と「地域」の自立志向との連動関係の探究(学校教育講座 片岡弘勝)

今月の研究コラムは学校教育講座の片岡教授の研究をご紹介します!
少し難しい部分があるので、今回はなっきょんがお手伝いします。質問がある人や、深く知りたい人は、アンケートにも書いてみてくださいね。

二つの問い

 「主体的な学習とは?」「教育実践にとって地域はどのような意味を持つのか?」これら二つの問いは、深いところで結びついています。学生時代にこれらの問いに充分に答えてくれる教育学理論に出会うことはありませんでした。このため、私なりに追究し始め、これら二つの問いは一括して問うべきという仮説を立て、今日に至っています。

思考操作に惑わされない「主体性」とは?

 表面上は主体的な学習のように見えても、実は何者かによって操られ、誘導され、あるいは動員される例は少なくありません。「近代」のシステムが生活の隅々にまで浸透し、大量の情報が渦巻いている今日の社会では、生活上の大切な事柄に関わって、思考操作(マインドコントロール)の作用に惑わされることのない「主体性」が求められます。教育実践が目指す人間の自立・成熟に向けて、思考操作作用に対するいわば「免疫」力をもつ「主体性」が大切な要素になることは、多くの人に了解されるでしょう。

たくさんの情報に囲まれた今の社会で、惑わされることなく、自分をしっかりと持って生きる力が大切だということですね。

 私は、後述する方法により、「主体性」を掘り下げて研究したところ、「近代」のシステムの中で理不尽に生命を奪われた「死者」の(無念の)言葉を自らの心(主観)の中で正しく聴きとり(実際には問い詰められて)対話することによって、人間の内面から「主体性」が起動するという考え方に出会いました。こうした語のイメージとは逆向きの精神の働きは、「決して二度と同じ犠牲を繰り返さない」という使命として語られることが少なくありません。そして、この「主体性」に支えられた学習や認識は、「近代」の矛盾・問題性(裂け目)をかろうじて発見し相対化する可能性を拓きます。

亡くなった方の無念の思いを自分の中で理解する中で、「主体性」が現れる・・・つまり、大切な人が亡くなった悲しみや怒りの中で、その方の無念の気持ちを考え自らを省みるとき、社会の中の問題に気づくことができ、自分の果たすべき役割に気づけるということですね。

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「価値概念としての地域」

 「地域」とは単なる空間ではなく、権限が集約された「中央圏」から見て下位の序列づけを受ける意味での「地方」でもありません。歴史の中で蓄積された固有の尊厳・誇り・個性を備えた、その意味で価値を持つ生活・生産圏をこそ「地域」と呼び、「地方」と混同することはできません。こうした「価値概念としての地域」という考え方にも出会いました。<「中央圏」に対する自立性を備えた「地域づくり」>を担う大人の背中から若い世代が感化を受けるような環境が、活動・学習意欲や「主体性」の形成を促すことも、多くの人に了解されるでしょう。また、「主体的な学習」の成果が「価値概念としての地域」づくりにつながることも了解されるでしょう。

なるほど、中央圏から自立した、自分たちが生活する場所の持っている価値に自信をもって「地域づくり」を行う意欲的な複数の人から刺激を受けることで、情報に流されない力を身につけ、自分たちでよりよいあり方を考えていく「主体性」を育てることができるということですね。

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上原專祿の思想研究の魅力

 以上に述べたことは、私が上原專祿(うえはら・せんろく、1899-1975年、世界史研究者・思想家)の著作を分析する中で、上原思想の特徴内容として明らかにしたことの一部です。「死者の言葉との対話」や「価値概念としての地域」のみならず「地域-日本-世界の現実を串刺しにして把握する」、カール・マルクスの「法則化的認識」でもなくマックス・ヴェーバーの「個性化的認識」でもない「課題化的認識」、「生活現実の歴史化的認識」、「国民形成の教育」、規範・事象認識への不断の相対化を重ねる「史心」等々。このような上原による数々の独創的な問題提起は、人間の成熟への道筋を、借り物でなく自力で模索しようと試行錯誤する者にとって深い示唆を与えてくれます。欧米一神教の影響を受けた世界観とは異なるアジアモンスーン地域・日本列島内地域における<庶民大衆の精神世界>に根ざした知性の形成を探究する上で、上原思想への私の関心が弱まることはありません。紙幅の都合で詳述できませんが、私は既述したような動態性の強い上原思想の考察を深める中で、冒頭に挙げた「二つの問い」の連動力学とその由来について研究を進めています。

先生が分析している上原專祿の考え方は、社会の中の現実問題を知識としてだけではなく、客観的にみつめて自分自身の生活に問題を結びつける力=自分事としてとらえる力や、「借り物ではない自らの言葉」を大切にしているのですね。
今回の2つのポイントの関連性など、これからの研究成果を楽しみにしています!

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学校教育講座 教授 片岡弘勝

※この記事は、2021年4月の情報を元に作成されています。

 記事をお読みいただきありがとうございました!ぜひなっきょんナレッジに関するアンケートにもご協力ください。

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カテゴリ   :   研究コラム
最終更新 : 2022-02-28 16:58